天気予報


-天気予報コム- -FC2-

国、地域一覧

その他

旅行記っぽい話「世界遺産と私」

カテゴリー

本日の予言

予言者

牛山教授のアドバイス
鰐川先生のアドバイス

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

プロフィール

イーサン鷹

Author:イーサン鷹
FC2ブログへようこそ!

リンク

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

旅行記っぽい話「世界遺産と私」 第2章 日本編

さて日本編ですが、私、実は日本には特別な思い入れがあります。なぜかと言うと私は日本で生まれ育った日本人だからです。だから、この日本編には自然と力が入ります。ですが、アメリカ編ほどではないにせよ、日本の世界遺産を訪れたのもかなり昔の話なので記憶があいまいで不明瞭です。何とか記憶を引きずり出してみます。

小学校の頃、私は白のブリーフを履いていました。なぜならそれが最高だからです。詳しく言うと健全な育成のためです。と言うか、それしか選択肢がなかったのが実情です。パンツと言えば白ブリーフ、そんな時代でした。

話を間違えました。アメリカ編と混同してしまいました。日本の世界遺産の代表格と言えばやはり京都奈良でしょうか(異論反論あるかもしれませんが)。京都奈良と言えばやはり修学旅行でしょうか。私は埼玉出身ですが、他の地方だと修学旅行で東京とか東京ディズニーランドへ行ったりするところもあるのかもしれません。
修学旅行といえばまずは小学6年生というのが定説です。私は小6の修学旅行でどんな世界遺産を訪れたのでしょうか。行ったところは確か箱根でした。おっと、世界遺産ではありません。箱根はいい場所ですが、世界遺産ではないのです。
つまり、小学校6年生時の修学旅行では世界遺産を訪れませんでした。

中学の修学旅行
では、中学校の修学旅行を見てみましょう。中学校の修学旅行と言えば3年生というのが定説です。どこへ行ったのかというとズバリ京都奈良です。出ました。京都奈良出ました。そんなわけで中学3年の修学旅行を思い出してみましょう。

正直、あまり思い出せません。さすがに遠い過去の記憶(十数年前)で、忘却の彼方とまでは言いませんが彼方寸前です。記憶を思い出そうとする度に波にさらわれてしまい、また波に乗ってやってきたかと思うとやはり波が持っていってしまうような感覚に襲われます。今更、中学校の時の記憶など思い出したくもないという気持ちもあります。別に嫌な体験があったとかそういうことではなく、楽しい思い出がいっぱいあるとは思うのですが、なぜ今そんなことを思い出して深いノスタルジーに浸らなくてはならないのかと葛藤しなくてはならないことに憤りを感じるのです。

私はとりあえず寝ることにしました。ベッドに横たわり、毛布と布団をかけ明かりを消して闇に包まれるとまもなく深い睡眠に落ちていきます。朝が来て目覚めました。特に何もありませんでした。そして、朝飯を食べました。コーンフレークとオレンジジュースです。ディスイズアメリカンスタイル! かどうかよくわかりません。

で、私は何を思い出そうとしているのか忘れてしまい、もう一度寝ることにしました。ベッドに横たわり、毛布と布団をかけ明かりを消して闇に包まれるとまもなく深い睡眠に落ちて…いきませんでした。十分寝てるので無理でした。仕方なくぼんやりと天井を眺めていたら昼になったので昼飯を食うことにしました。今度はジャパニーズスタイルにしようと白米、おしんこ、味噌汁を食べたのですが、その時にそう言えば修学旅行で白飯を食らったことを思い出しました。そう、私は修学旅行で白米を食べたのです。ほんの一部の記憶ですが、ようやく思い出すことが出来ました。ですが、白米を食ったことしか思い出せないのはいかがなものかという自戒の念が湧き上がりました。だいたい白米などいつでもどこでも食っているではないかと思い、思い出したことに何の意味があろうかと己を激しく責めました。ですが、何を思い出そうとしていたのか思い出したのは収穫だったと言えます。

京都へ
再び修学旅行を思い出そうと試みることにしました。まずは京都へ行ったのだと推測しました。なぜ奈良ではなく先に京都なのか。それは新幹線で京都に降り立ったからだと思われます。衝撃的事実を申しますと、奈良には新幹線は通っておりません。そんな訳で京都に降り立ちますと、まず京都タワーが目に入ります(そんなに近かったか覚えてませんが)。これは世界遺産ではありません。それどころか負の遺産と呼ばれております。ちなみに、この頃の日本はまだ世界遺産に締約しておらず(多分)、すなわち日本に世界遺産に登録された文化財や自然は存在していませんでした。

で、とりあえず適当に金閣寺と銀閣寺へ行ったと思われます。この2つの寺は世界遺産「古都京都の文化財」に含まれています。金閣寺は金色に美しく輝いていました。かどうか、よく覚えていません。ただ、教科書で見たあの金閣寺だな、と確認が取れたように思います。一方銀閣寺ですが、銀色ではありませんでした。どんな色だったか良く覚えていませんがパッとしない色でした。なので、訪れた全ての修学旅行生が「銀じゃねえ~」と言いました。まあ、よく覚えていません。

その他「古都京都の文化財」に含まれている寺社、城で訪れたところは、とりあえず清水寺は確定でしょう。崖の上に建つ木造建築の本堂は外から見るとその作りに驚嘆し、中からは素晴らしい京都の自然を眺めることができました。か、どうかよく覚えておりません。
あと、平等院とか二条城とか有名ですが、行ったかどうかは全くわかりません。まあ、行ってないということにしておきましょう。

奈良へ
お次は奈良です。多分この修学旅行は2泊3日だったのですが、どんなスケジュールだったのかは覚えていません。2日目辺りに奈良へ移動したのではないかと推測されます。奈良と言えば鹿です。鹿の記憶があります。鹿せんべいが販売されていてそれを買って鹿に食わせたかどうかは全く覚えておりません。本当に鹿を見たのかどうか……。ひょっとすると馬だったかもしれません。でも、それだとなぜ馬牧場へ行ったのかわかりません。だから、鹿型の動物を見たとしたらそれはやはり鹿だったと思われます。

鹿なんかどうでもいいのです。大事なのは信念です。成長する過程で己が何を信ずるか。それが進む道を作るのです。ですが、ここではそれすらどうでもいいです。普段は地味で存在感のない奈良ですが、実は世界遺産の宝庫なのです。なんと「法隆寺地域の仏教建造物」「古都奈良の文化財」「紀伊山地の霊場と参詣道」と3つも持ってやがるのです。

で、まずは有名な法隆寺です。法隆寺と言えば五重塔ですが、それ以外にも境内に色々な建物があるようです。よく覚えていません。と言うか、当時は何の興味もなかったと思われます。法隆寺は現存する最古の木造建築物と言われております。7世紀頃に建てられて今もそのままの姿を残しているのだから、実に素晴らしいものです。
ところで、法隆寺は聖徳太子が建立したと言われていますが、先日見たテレビ番組によるとその聖徳太子が存在しなかったらしいので、法隆寺も本当に最古なのでしょうかという疑問が沸かないでもないです。何を信じていいのかわからなくなったので、何も信じないことにしました。

「古都奈良の文化財」には何があるのでしょうか。代表格は何と言っても大仏を擁する東大寺でしょうか。修学旅行でもそこは行きました。奈良に行って鹿を見ないことがあっても東大寺に行かないことはないと言えるほどここは定番です。東大寺を見たときのインパクトは覚えています。「でかい!」かなり驚きました。大きいのも当然でした。なぜなら、この中にでかい大仏が入っているのですから。で、中に入ると大仏のお出ましです。こっちもでかいのですが、東大寺の方がでかいのです。南大門の金剛力士像もかっこよかったです。
その他、「古都奈良の文化財」には春日大社やら薬師寺やらがあるようですが、よくわかりません。中学生くらいでは寺社などにはあまり興味がないし、その歴史なんか理解しにくいのでそのような場所に行くのは時期早々と言えば早々な気もします。

その位なのでしょうか。他にもどっかしら行ったのではないかと思われるのですが、全く思い出せません。お土産屋は行ったと思われます。京都では生八つ橋を購入いたしました。家に帰って食ったら一口でギブアップしました。正直、当時はあんこが苦手でした。しかし、生八つ橋はそれ以前の問題のように思われます。皮に付着している粉(ニッキかな)がダメでした。今なら食えると思うんですけど、それ以来食ってません。

集会
そんな感じで中学校の修学旅行は終わったのですが、ふと2日目辺りの夜の集会のような出来事が思い出されました。夕食の後でしょうか、大広間に全生徒が集められたのです。一体何事でしょうか。何の目的で集められたのかは今ひとつ思い出せないのですが、おそらく誰かが何かをやらかしてそれに対する注意と反省のためだったのではないかと思われます。
何をやらかしたのでしょうか。思い出せません。大広間に先生と生徒が全員集合して静まり返る中、先生が何やら怒っていたように思います。何を怒っていたのでしょうか。思い出せないので推測してみたいと思います。修学旅行などでよくあるのが、部屋に物を忘れてしまって先生が「これは誰のですか?」とみんなの前で言って持ち主を捜すことです。この類の集会だったのかもしれません。とすると、こんな感じでしょうか。

大広間で修学旅行に参加した全生徒が集められクラス毎に並び体育座りをしています。前方には先生が集合しています。サングラスをかけた主任のK先生が中央にやってきました。生徒の目はK先生に注がれます。K先生は居並ぶ生徒達をゆっくりと威圧的に見回します。手に持った透明のビニール袋から何か衣類のようなものを取り出しました。どうやら白ブリーフのようです。一部分が茶色くなっていました。そして、大声でこう言いました。「このビチグソの付いたパンツは誰のだ!?」その声が大広間に響き渡り、その後、静まり返りました。
部屋の隅にいたY先生がばつの悪そうな顔をして「あの、それ私のです…。」と言いました。「むっ…。」K先生は若干驚いた様子でした。K先生はY先生に下着を返し、集会は解散となりました。

何か違うような気がします。衣類の忘れ物なら最終日(宿を去る日)の朝が定番です。しかし、パンツでないとすると何でしょう。酒、タバコ辺りでしょうか。酒かもしれませんね。確かに私の部屋でも酒類を持ち込んだヤツがいてみんなで飲んでたように思います。まあ、ちょこっとですけどね。それがばれたヤツがいると。それなら怒られる可能性はあります。もしくは、自由行動時間で何か犯罪行為を働いたのかも知れません。万引きとか鹿の虐待とかが考えられます。ですが、それだと警察に補導もしくは逮捕されるわけなので、さすがに逮捕者は出ていなかったと思われますので、違うのでしょう。よくわからないので、誰かが便所を詰まらせたということにしておきます。

高校の修学旅行
そうして、修学旅行は中学3年の良い思い出となったのです。ですが、その3年後、再び修学旅行で京都奈良を訪れることになろうとは全く想像だにできませんでした。高校3年生の修学旅行でまたもや京都奈良方面へ行ったのです。しかし、さすがは高校です。中学とは一味違い何と4泊5日の長旅なのです。でも3泊4日だった気もしますがどっちでもいいでしょう。

とりあえず新幹線で京都へ向かったのですが、と書こうと思ったのですが、本当に京都へ行ったのかという疑問が地獄の底から時速200kmのスピードで湧き上がってきました。覚えてないのです。全く記憶にないのです。私は閃きました。「京都へ行ってない!」そう、実は行ってないのです…と思ったのですが、修学旅行で京都を無視することなど可能なのでしょうか。むろん、授業料の高い私立高校では海外に行ったりもするでしょう。しかし、私は公立だったので京都以外あり得ないと言えます。でも、考えてみれば中学校の修学旅行でも京都、奈良へ行っているのにまた同じ場所へ行くことに意味があるのでしょうか。いえ、ありません。全く無駄です(そんなこともないですが)。

実を言うと大阪へ行った記憶は確実に残っているのです。京都へ行った記憶はないのに、大阪へ行った記憶は残っている。推理するに、行き先は京都、奈良ではなく、もっと幅広く考えて「関西」だったのかも知れません。しかも、高校の修学旅行ともなれば数人のグループ単位での自由行動がメインになっているはずです。つまり、京都へ行きたいヤツは京都へ行き、奈良へ行きたいヤツは奈良へ行き、大阪へ行きたいヤツは大阪へ行き、和歌山へ行きたいヤツは…そんなヤツいないか(失礼)。と、そんな風に人によって行き先が異なっていたのではないかと推測されます。

とは言え、やはり初日くらいは京都へ行くというものではないでしょうか。なぜなら京都はかつての首都であり代々の天皇が住まわれていた地でありまして、日本人にとっての心の故郷なのでありますから(多分)。だが、我々は大胆にも京都を無視したのです! か、どうかよく覚えてません。
ともかく、今回は京都(そして奈良)に関しては言及しないことにしました。行ったかどうか不明であるのと、中学での修学旅行とダブっているからです。そんな訳で、まず大阪訪問から話を始めたいと思います。

大阪上陸
東に東京あれば西に大阪ありと言われたかどうか知りませんが、関西に位置する大阪は東京に次ぐ都市なのであります。私は埼玉出身で大阪には行ったことがありませんでした。あまり興味もありませんでした。大阪と言えばたこ焼き、100%そんなイメージでした。ちなみに今もあまりよく知りません。それでは大阪のどこへ行ったのでしょうか。なんと万博公園なのです。なぜそんなところへ行ったのかわかりません。大阪と言ったら万博公園だろ、とメンバーの誰かが言ったのかも知れません。で、万博公園とはどういう所かと言うと、正式名称を日本万国博覧会記念公園と言いまして、1970年に大阪府吹田市で開かれたビッグイベントである日本万国博覧会の跡地を整備して公園にしたものです。庭園とか文化施設、エキスポランドなどがあるそうです。

で、実際に行った印象としては特に何もないだだっ広い場所という感じです。敷地が広いので間違って辺鄙な場所へ行ってしまったという可能性もあります。故岡本太郎氏が制作した太陽の塔くらいは見たのではないかと思いたいところですが、よく覚えてません。ただ、一体何しにここへ来たのか感が漂ったようなことはうっすらと記憶に残っています。初っ端から行き先を間違えたようです。大阪行ったらたこ焼き食おうとメンバーで話し合っていたのですが、当然たこ焼き屋は見つかりませんでした(探せばあったのかも知れませんが)。だいたい、そこは大阪市ではなく吹田市なのでした。

大阪(市)の中心はキタ(梅田とか)とミナミ(難波とか)と言うのがあるのですが、当時は全く知りませんでした。そんなことも知らずにたこ焼きにありつくことは不可能でした。そして、次に我々が訪れたのはキタでもミナミでもなく大阪城でした。大阪と言えば大阪城みたいなイメージは多少ありました。大阪城の周辺は都会っぽかったように思います。で、大阪城ですが、印象としては緑色ってとこでしょうか。天守閣に登ると大阪の街が一望できました。いい眺めでした。近くに高層ビル群(OBP)がありました。まあ、そんなとこです。大阪で訪れたのはその2箇所のみだったと思います。なんかイマイチですね。

さて、ふと気づいたのですが、宿はどこだったのでしょうか。まさか、宿もグループ単位でバラバラだったとは思えません。少なくともクラス単位だったはずです。そう考えると、宿は京都だったのではないかと推測されます。結局、拠点はやはり京都であったのだと言えましょう。ですが、京都の記憶はございません。

姫路へ
で、翌日は大阪よりさらに西を目指しました。正直、翌日だったかどうかよく覚えてません。とにかく西へ行きました。港町神戸は歴史のあるきれいな街です。が、そこは通り過ぎて姫路へ行きました。そう、姫路城です。また城です。我々は城好きなのです。か、どうかよくわかりません。姫路駅に降り立つと大きな街でした。その都会っぷりは我々埼玉人の度肝を抜きました。姫路なんか単なる観光地だろ、と舐めてました。駅前から伸びる一直線の大通りがあり、その先に姫路城が見えました。この構図に感嘆しました。街は理路整然と整備されており、アーケード商店街は多くの人々が行き交ってました。実を言うと埼玉にはアーケード商店街はほとんどないので珍しいのです。関西にはやたらあるみたいです。

とりあえず、姫路城へ向かって大通りを歩きました。当然、車道でなく歩道を歩きました。約1km位で姫路城の入り口に到着しました。と言うか、姫路城前の広場(堀の内側だが石垣の外のところ)に到着です。観光客が大勢いたように思います。さすが天下にその名を轟かす姫路城です。石垣に囲まれた広い城内を歩いていきます。なかなか味わいがあっていいものです。天守閣に登ると姫路の街が一望できました。か、どうかよく覚えてません。

姫路城を去り、昼飯を食うことになりました。大通り沿いにうどん屋がありまして、何となく姫路と言ったらうどんだろ(?)という共通意識が沸き、そこに入りました。後から知ったことですが、別に姫路はうどんの産地でも何でもありません(多分)。何うどんを注文したかは覚えてませんが、いわゆる関西風うどん(汁の色が薄いやつ)でして、やっぱ東京のうどんと言うか学食のうどんとは違うなと思いました。でも、味は普通でしたと言うかよく覚えてません。
その後、姫路の街を意味もなくプラプラとして帰りました。どこへ帰ったのかと言うとよくわからないのですが、おそらく京都です。その前に他の地をまわった可能性も高いです。姫路で一日を終えたとは考えにくいです。が、他に行った場所は心当たりがありませんので、修学旅行2日目はこれで終わりとなります。

ちなみに、言うまでもありませんが、この姫路城は世界遺産です。単体の城としては唯一世界遺産に登録されているのでこれが日本最高の城と言っても過言ではないかと思われます(もちろん他に素晴らしい城はいくつもあるし、人によって好みがあるでしょうが)。ですが、江戸城(の天守閣、1657年の明暦の大火で消失しその後再建されず)が今も残っていたとしたらどんなに素晴らしかったのだろうかと思わずに入られません。

ふと記憶がよみがえったのですが、夜に京都の街へ繰り出したように思います。数人で街の中心部辺り?を歩いて、どこへ行ったのでしょう。ゲーセンへ行ったような気がします。京都へ行ってゲーセンはないだろと思いますが、他に行くところが思いつかなかったようです。ひょっとすると雷電(シューティングゲーム)をやったかもしれません。ちなみに、その頃はゲーセンも隆盛でしてストⅡ(格闘ゲーム)が大流行していました。学校の帰りにみんなでよく寄ってましたね。久しぶりに思い出してしまいました。
さらに、今気づいたのですが、高校の修学旅行は2年生時だったかもしれません。3年生だと受験などが近づいているので旅行行ってる場合ではないように思います。

広島へ
翌日、さらに西へ行きました。関西とはおさらばです。どこまで行ったのかと言うと、中国地方の拠点かつ最大の都市広島です。広島と言ったら、原爆、お好み焼き、仁義なき戦いというイメージですが、実際はどんなところなのでしょうか。で、行ってみたところ、大きい街という感じでした。街中には路面電車が走っていました。最近は車体の角が丸く窓が大きい車両が多いようですが、当時は昭和の市電て感じのものでした。そういうのもまだ残ってるのかもしれませんが、その後広島に行ってないのでよく知りません。ちなみに路面電車には乗ってません。

さて、広島の名所といえばとりあえず原爆ドーム&平和記念公園ですが、その前にクラスで広島城を訪れました。何と広島にも城があったのです。初耳でした。と言うか、これで3つ目の城です。城に行き過ぎだと感じました。広島城は意外と街の中心部近くにありました。もしくは微妙に離れてました。実は街の中心部がどこかわかりません。天守閣に登ったりしました。正直、天下の姫路城を訪れた我々にとっては「ふ~ん」という感じです。さほど興味が沸きませんでした。堀が四角かったのは覚えています。

次に平和記念公園に徒歩もしくはバスで移動しました。多分バスでした。途中に広島市民球場が見え、我々の度肝を抜きました。こんな街中にあるとは思っていませんでした。妙に巨大で迫力がありました。我々埼玉人にとって球場とは西武球場のことで、人里はなれた場所にあるものなのでした。

平和記念公園は川に挟まれた中州のような地にありました。他の学校の修学旅行生風情や観光客なども多かったように思います。そこで誰かが平和について語ったかも知れませんが、誰も聞いていませんでした(多分)。平和記念資料館に入って展示などを見ます。さほどインパクトはありませんでした。なぜなら小学校の頃に読んだ「はだしのゲン」により原爆の強烈な印象を既に受けていたからです。小学生の頃、私は学童保育(児童館)に通っておりまして、そこにあった唯一の漫画がなぜか「はだしのゲン」だったので、繰り返し読んだのです(小学校の図書館にもあったと思うのですが、図書館を利用する児童はあまりいませんでした)。そこに描かれた全身の皮膚が溶け垂れ下がりガラスの破片が体中に刺さった絵こそ最もリアルな原爆体験なのです。それに比べると資料館の展示はやや物足りなさを感じたのです。

で、世界遺産の原爆ドームは公園と川を挟んだ場所、球場と道路を挟んだ向かいにありました。あー、あれかと思いました。あまり大きくありません。ところで、私は黙祷ではなく空を見上げることを推奨します。昭和20年8月6日にB-29がやって来て原爆を投下し、10000mを超える高さのきのこ雲が貫いた空を。想像してください、空から爆弾が落ちてきて大爆発を起こすのを。目をつぶっていたら何も見えませんよ。とも言えませんが、と言うか両方やればベストです。私はどっちもしませんでした。

で、その後はグループ毎の自由行動です。どこへ行ったのかよく覚えていないのですが、お好み焼き屋へ行ったのは確かです。これは大阪でのたこ焼きのリベンジを意味します。店へ入ると1階は満員なので2階へ案内されました。階段を上るとそこは不良の巣窟でした。と言う程でもないのですが、ヤンキーっぽいのが多かったです。適当に焼きそばとかが入ったお好み焼きを注文して食べました。味は極めて普通で正直がっかりしました。適当に入った店なのでこんなもんなのでしょうか。有名店に入るべきだったのかも知れませんが、どこが有名店なのか全く知りませんでした。リサーチなど考えもしませんでした。一応広島風お好み焼きは食ったという事実だけは残りました。が、どこが広島風なのかはわかりませんでした。ズバリ言うと、友人のT君のお母さんが作ったお好み焼きの方が2倍うまかったです。

これで広島は終わりですと思ったのですが、厳島神社を思い出しました。そう言えば行きました。水の上に社殿と鳥居があるところ。あれはおそらく厳島神社でしょう。当時はよく知りませんでした。が、いい場所だったのは確かです。最も日本的な美を感じたと言えるかも知れません。若干、気分が高揚しました。世界遺産に登録されております。
こんな感じで3日目?は終わったのですが、他に行った場所を覚えてないので、これで修学旅行は終わりっぽいです。何かすごく足りない気がしますが、覚えてないので仕方がありません。

風呂
ところで、これはどうでもいいと言うか重要度の低い話なのですが、と言うか記憶がやや曖昧なため書くのを控えた方がいいのかもしれませんが、念のため書かせていただきます。その夜、我々はホテルだか旅館だか忘れたのですが、宿に泊まりました。まあ当然です。で、その日の夜のことです。我々は風呂に入ります。各部屋に一応風呂が付いていた可能性もありますが、入るのは当然大浴場です。風呂が大好きな日本人ですが、普段は足の伸ばせない狭い湯船に浸かっています(当時)。そんな曲げられた足を伸ばすことができる風呂、それが大浴場(もしくは温泉)です。しかも広々とした空間で心も伸ばす(?)ことができます。要は開放的になります。ですが、陰部は隠すという矛盾もあります。それはさておき、そんな大浴場に晩飯を食い終わったヤツらが続々やってきます。私も行きました。脱衣所で全裸になりタオル一枚持って浴室に入り体を洗い大きい湯船に浸かります。あ~、広い風呂は最高です。本当に気分が良いです。この日本伝統の裸のコミュニケーションを世界遺産に登録したらいいんじゃないか、とふと思い立った気もしますが、多分思ってません。なぜならその頃世界遺産など知らなかったからです。

最高に気持ちいい風呂ですが、血行が良くなりすぎるのか、そんなに長時間は入れません。そこが何とも惜しいところですが、十分味わったので出ます。タオルだかバスタオルだか忘れましたが(小学校か中学校の修学旅行ではなぜかバスタオル禁止でタオル一枚で体を洗いその濡れたタオルで体を拭くという無謀な規則が設けられていましたがなぜなのでしょうか)、体を拭き着替えます。髪を拭きドライヤーで乾かしたり、体重計に乗ったりと大浴場の余韻を味わいます。その時です。先程風呂からあがった同じクラスのE君が着替えの入ったボックスを見て何やら困惑しているのです。そして、悲鳴のような大声を上げました。「俺の白ブリーフがない!」 周囲は騒然としました。どうしたのでしょうか。なくなったのでしょうか。それとも、誰かが盗んだのでしょうか。周りの皆がE君のパンツを探し始めた時、E君といつもつるんでいるF君がこう言いました。「あっ、悪りぃ、俺間違って履いちった。」「おいおい、間違えんなよ~。」脱衣所は安堵に包まれ、私は部屋に戻りました。

総括
翌日、新幹線でビュ~ンっと東京まで帰り修学旅行は終わりました。
さて、この2回の修学旅行でどのくらいの世界遺産を訪れたのでしょうか。数えてみましょう。「古都京都の文化財」「法隆寺地域の仏教建造物」「古都奈良の文化財」「姫路城」「原爆ドーム」「厳島神社」と、何と6個も訪れてしまいました。無意識のうちに6箇所も訪問してしまうとは恐るべしです。日本の世界遺産は13個なので半分近くです。修学旅行も侮れないなと思いました。次行くとしたら日光と思われます。埼玉からならすぐ近くなので行こうと思えばいつでも行けます。が、いつ行くかわかりません。

これで「第2章 日本編」は終わりです。次は「第3章 北欧編」です。何と日本を飛び出して一気に北ヨーロッパまで行ってしまいました。よろしくお願いします。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://wheritage.blog97.fc2.com/tb.php/148-ea301699

 BLOG TOP 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。